1年以上この株logを放置していたことになる。
なぜか。
皆が経験している通りの大相場で、これまでにないほど株の運用が好調で、ブログで憂さを晴らしたり、戒めを書いたるすることがなかったからに他ならない。
直近で総資産は8,300万円を超えてきた。会社側で積み立てている退職金と合わせれば、ゆうに1億円を超える規模だ。
このくらいの資産になってくると、キャピタルゲイン狙いの自分でも、配当金が最低でも年間50万円以上はふえてくる、軍資金が勝手に増えている印象。
この間、グランドピアノを購入したりと大きな買い物もしているが資産は減るどころか、どんどん増えている。
現在のインフレ傾向、日本株の株高は数年前からある程度予測していた。また、AIに関してはChat GPTの発表当時から使い倒して圧倒的な技術革新により、世界が変わることも予測していたため、このAI相場は比較的順調に乗れている。
この3年間くらいは、税引き後の所得では株が本業と同じか、それ以上になっており、今年に関しては、まだ半年だが本業がトレーダーになるのは確実だ。
2004年に株式投資を始めたので、今年で22年のキャリアということになる。
この間退場せずに、相場に残り続け地道に増やしてきたが、そろそろどこまで増やすのかを決める必要があるように感じている。
退職を65歳とすれば、それまでまだ10年以上あるが、幸い本業でも昇進や昇給が続き、サラリーマンとしては恵まれたほうの給与水準になってきた。
おそらくこのまま、保守的な運用をしたとしても退職時には1億円を超える資産にプラスして退職金で老後の心配はあまりないのかもしれない。
あとはいかに人生後半戦を楽しむか、仕事でどれだけ価値を発揮するか。このあたりが一つのやりがいとなってきそうだ。
趣味に関しては相変わらず、春から秋にかけては、バイクを乗り回し遠距離ツーリングを楽しんでいる、仕事に関しても自分が望んだ仕事でマネジメントの職に就いている。あまり不満がない状況ではあるが、今後さらなる高みを目指すためには何が必要なのか、そんなことを考えるようになった。
よく言われることに、「あの世にお金を持っていくことはできない」という言葉がある。最近では、 『Die with Zero』という本がはやるなど、生きているうちに自分のため、家族のために活き金を使おうという思想がはやっていることも理解している。
昔の自分であれば、全くそのような思考は持ち合わせておらず、Die with 100%、 過去最高資産で死ぬのが理想のような考え方を持っていたし、今でも少なからずそのような気持ちもある。
しかし、そのために人生において経験できることに制約をかけたり、過度な節約を行ったりするのは本末転倒ということにも最近やっと気づいてきた。なので、Die with Zeroの思考がほんの少しだけ理解できるようになってきたというわけだ。
人間は、育った環境によってお金の使い方が大体決まってくるのだろう。
子供のころはいたって平均的なサラリーマン家庭に育って、裕福ではなかったものの、貧しさを感じたことはさほどなかった。
我々の世代は、幼少期に日本が高度経済成長を果たし、学生時代にバブル期を迎え、入社直前にバブルが崩壊し、社会人人生30年を日本経済の失われた30年として過ごしてきた。いわゆる第二次ベビーブーマー世代だ。
この世代の特徴として、幼少期の経済成長は自分事ではなく、社会人になる直前にバブルが崩壊しているため人生においていわゆる「いい思い」をしていない世代なのだ。それもあってか質素倹約型の人間が多いように思うし、自分もその一員という自負がある。
このような時代背景もあってコツコツと財形貯蓄を行い、余った資金を30歳ころから株式で運用し始めた。当時はバイ&ホールド一本で、リーマンショックでも損切りせずにずっと握り続けてきた。それもあって日本株が息を吹き返したあたりから、株式資産が徐々に増えだした。
そして、この10年くらいは、スイングを本格的に勉強し、積極的な売買、売りも買いもするようになり、資産がじわじわと増加してきた。
そして今回のAI相場では私の最も得意とするローツェや、ソフトバンクGで大きな利益を積み上げることができた。
一方で、子供のころからのお金の使い方はあまり変わっておらず、贅沢をしたいとか見栄を張りたいという気持ちがあまりなく、自分の好きなものには計画的にお金を使うというスタイルである。
これは投資においても全く同じで、基本的には余力を全て突っ込むことは決してない。常に資金の半分近くはいつでも追加できるキャッシュポジションとして残しており、その分資金効率や成長速度は犠牲になるが、危ない橋を渡らずに「そこそこの場所」まで到達できてきたという印象。
一様に世代だけで語れるものではないかが、私の育った環境的にも、周りにはこのような思考を持つ人間が多いように感じる。
さて、本題に戻ると、このコツコツと積み上げてきた資金を今後どのように使っていくのか、いわばお金をどう減らしていくのかということについて考えさせられているのが、直近の課題だ。
別に無理してお金を使う必要はないのだが、Die with 100%、過去最高益で人生を終えても仕方がないのかなと思うようになってきたわけだ。
SF作家の森博嗣という人の書いた「お金の減らし方」というエッセイをたまたまKindleで読んだのも一つのきっかけになっている。大学教授の傍らSF作家として大成した彼が趣味に徹底的にお金を使っており、考え方としては、「必要なもの」は徹底して節約するが、「欲しいも」のは一切制約せずに、予め自分の決めた範囲(所得の10%)を使ってきたということが書かれていた。
この所得の10%(自分と奥様で計20%)を好きなもの・欲しいものに使うという発想は自分にはなかったが、この考え方はいわゆるメンタル・アカウンティングの発想であり、とても理にかなっている。
メンタル・アカウンティングとは、本来お金に色はないが、勝手に心の中で色分けをして、大胆に使えるお金、節約するお金を分けているという考え方。例えば、臨時収入で得たお金は散財しやすいが、汗水たらして働いて得たお金は計画的に使うとか。
これをビジネスに応用した例でいうと、最近リゾートホテル等でオールインクルーシブという料金設定がよくあるが、かかる料金が一定で、そのリゾート内では何を飲食しようが、どんなアクティビティに参加しようが追加の費用は一切掛からない設定。こういう料金体系だと人はチェックアウト時の精算を心配することなく、のびのびとリラックスして滞在をの楽しむことができるという考え方。
要は心の中でお金を仕分けして自由に使えるお金、節約するお金、投資するお金といったように切り分けることで、もっと自由にお金を使うことができるようになるということだ。
少なくとも株式の運用が好調の今、本業のサラリーマンの所得の10%を趣味に使うと決めて徹底的に楽しむのはありかもしれない。もっといえば倹約家の妻に対してもその10%を好きなことに使っていいよと伝えれば、もっと夫婦関係が良好になるのかもしれないなどと妄想している。
「必要なもの」を節約するという発想は、これまでの人生で身についているが、本当に欲しいものには妥協せずにあらかじめ決められた範囲でお金を使っていくというスタイルをすこし実践してみようかと考えている。
Die with 100%ではなくなるが、今後は積極的に体験を増やすことで、思い出という配当をしっかりと受け取れるような過ごし方を意識してみようと思う。
自分は、バイクと旅にもう少しお金を使うことになりそうだ。
今後どれだけ楽しめるか、どれだけの思い出を作れるか、まだまだ人生後半戦はこれからだ。
株のブログだが、今後は何にお金を使ったかを書いていくことが増えるかもしれない。