さて、この先どう生きるべきか。
最近こんなことをよく思うようになってきた。
仕事も投資もほどほどのパフォーマンスで、ここまで大きな事故もなく無難にたどり着いた人生。
漸く子育ても一段落しそうな感じ。
仕事はあと10年ちょっとは敷かれたレールの上を走ろうと思えば、無難な速度で巡行しながら定年まで同じ会社で働くことは可能だろう。
その後は好きな投資やバイク、海外旅行なんかを楽しめればよいかと考えていた。
でも、なんか違うような気がした。
今の考えのままで、その漠然と思い描いていた第二の人生のような状態になったとしても心の底から楽しめるのか自信がない。
何か決定的に欠けているような気がして、今一度自分が思い描いていた「やりたいこと」をじっくりと見つめ直してみて、合点がいった。
全てのことが「自分ひとりで完結」する事だった。
自分は孤独との向き合い方は得意なほうだと思う。
むしろ孤独を好んで取り入れる傾向があるのかもしれない。
でも、人生の後半戦で自分のやりたいと思い描いたことの全てが、自分ひとりで完結するものということに、すこし嫌悪感に近い感情を抱いた。
最近「孤独」は一種の流行りなのか、やたらと孤独を推奨する本やネット記事が巷にあふれるようになった。当然自分も孤独は自らを見つめ直したり、深く考えたりするのに重要な価値観であり、自分の人生においても重要な位置付けにあるものと考えている。
でも、それだけで人生が終わってしまうとしたら、果たして自分の人生は何だったのかと死に際に後悔の念を抱くかもしれない。そんな焦燥感に近い感情が頭をよぎった。
そう、ここからの人生は、わがままでも、自己中心的でも良いので、もっと自分と価値観を共有できる人とのつながりをもつ人生も必要なんだと、いまさらながらに気づいた感じだ。
投資でもいいし、資格を取るのでも、バイクで旅をするのでもよい。
ただ、それらを自分ひとりだけではなく、それらを通じて愉しみを共有できる人とのつながりを持つこと。
もっと言えば自分の愉しみだけではなく、他者の愉しみにも貢献できるような生き方をすること。
なんか格好をつけているだけのように聞こえるが、要は自分が死に際で後悔しないようにという自己中心的な思想に基づいたものなので、立派なものでもなんでもない。
投資も自分だけ儲かればよいというのは全く否定はしない。
ただ、それだけでは面白くない。
会社の投資仲間ともう少し計画性を持った勉強会を実施するなどして、お互いの愉しみを昇華させていく努力が必要かもしれない。
個人の愉しみが、他者の愉しみと共鳴した時、おそらくそれは質のよい楽器が倍音を奏でるかのように、とても心地の良いものになると思う。
もう今から手を付けていく事は、趣味でも、勉強でも、仕事でも基本は自己中心的で良いと思っている。ただそこに共鳴する他者の存在を得ることで自分のこれからの人生が大きく変わってくるように思われた。
人生は長いようでいて、年を取るとともにその時間の経過が早まる。
スピードに例えると自分の年齢Kmの時速で走っているようなものだと、何かの本で読みとても納得させられた。
20代は時速20キロ、40代は40キロ、80代にもなれば時速80キロで巡行し終着駅に向かってまっしぐらに走っていくイメージ。
時間を大切に、健康の為に体を鍛え、自己中心的に生きながらも、他者との共鳴を自発的に模索していく。
簡単に書けばこんなところが自分の後半戦における基本路線かもしれない。
そう考えれば、この先の人生も少しワクワクしてくる。
ワクワクのない人生は死んだも同然。
常に旅をしているかの如く生きたいものである。
株とは全く関係ない記事を書いたが、たまにはこんな自分の頭の整理も良いだろう。
アウトプットすることで、頭の中がクリアになる。一年の終わりの月に来年に向けて頭の整理ができた感じだ。